さていっぽう、淡々と課題を出し続けている子たちはただの「課題」「作文」を書いているのかと言えばさにあらず、人によってはその小説をネタにしてめちゃくちゃおもしろいコラム的なコンテンツを書き続けている。
課題を書かない小説家志望の子たちは、コンテンツの着想や言葉とは自分の「中」にあるものだ、と考えているようだ。それを自分のなかから掘り出すために外部刺戟を遮断しているように見える。先人の書いたいろんな小説を読んでガツンとやられてる暇なんかないようだ。
いっぽう課題を出してくる学生たちにとっては逆に、コンテンツの着想や言葉は自分の「外」にあると感じられている。
授業で取り上げるから、というだけの偶然で出会った本。それがどのように書かれているか、その仕組みを感知し分析するなかから、それまでの自分になかった技法やネタを見つける。またその過程自体をエッセイやコラムに仕立てることで、本という「他人の言葉」との事故のような出会いを「コンテンツ」の形にまで持っていく。
人によっては、「どこからこういう文章が出てくるのだろう」と感心させられることもあり、そうなればある意味その学生は私という固定読者を得たようなものである。
Vol.47 人の作品を読まない人の作品が、みんな似ている理由:日経ビジネスオンライン (via cokeraita)
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